映画『十二人の死にたい子どもたち』
生きたい大人、としまる (@toshimarueiga) です。
堤幸彦監督の最新作映画『十二人の死にたい子どもたち』を観てきました。
オススメ度:★★★★☆(4/5)
堤幸彦監督らしい演出と、若手俳優たちの演技がみんな良かったです。浅はかな子どもたちの未熟な思想・言動がよく表現されていました。
個人的にとても面白かった!
でも評判めっちゃ悪いw
ま、まぁ感想は人それぞれですからね。私は面白かった、という事実が大事なんだ。そうなんだ。
そんな評判悪い『十二人の死にたい子どもたち』について、さっくり書いていきます。軽度のネタバレも含まれているのでご注意くださいませよ。
映画『十二人の死にたい子どもたち』感想・解説
映画『十二人の死にたい子どもたち 』15秒CM(サスペンス編)【HD】2019年1月25日(金)公開
ストーリーは〈ワンシチュエーション・ミステリー〉
余計なエピローグが無くて最初から廃病院で始まります。ちなみにそのまま廃病院の施設内だけで完結する、いわゆる〈ワンシチュエーション・ミステリー〉です。
12人の子どもたちが、インターネットを通じて知り合い、廃病院に集まります。集まる目的は「安楽死による集団自殺」です。
皆それぞれの事情を胸に秘め、1人また1人と集まってきます。
ようやく12人全員が集まったかと思ったら、そこにはなぜか13人目の死体が!?しかもどうやら自殺ではないらしい…。
この集まりは12人しか知らないはず。13人目の死体はいったい誰が、何の目的で?
すぐにすべてを終わらせる予定だった12人は疑心暗鬼になり、彼らは「無事に死ぬために」推理をしはじめるのでした。
徐々に明らかとなっていく、それぞれの「死にたい理由」。
不可解な出来事の先に、彼らは何を見つけるのでしょうか?
堤幸彦監督の演出のクセがすごい
『トリック劇場版シリーズ』『イニシエーション・ラブ』『人魚の眠る家』などを手掛けた監督です。
テレビ番組やCM、ミュージックビデオなどの演出も手掛けているからでしょうか、映画でもカメラアングルや効果音などでクセのある演出がよく見られます。
人によって好みが別れそうですし、私的にも当たり外れがありますね。
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本作はなかなか当たっていた印象です。
ところどころフードを被った姿になるシーンが、のちのち効いてくる感じとか好きでした。
若手俳優たちにフォーカスし、若者の浅はかでありながら愛おしい未熟さを象徴的に表していたと思います。
若手俳優オンリーなのに頑張ってる
本作に出演しているのは若手俳優だけです。
杉咲花/新田真剣佑/北村匠海/高杉真宙/黒島結菜/橋本環奈/吉川愛/萩原利久/渕野右登/坂東龍汰/古川琴音/竹内愛紗
この全員がよくキャラを立てていました。
「あ〜、こんなウザキャラいるよね」
「でた!やたら意識高いやつ!」
「ほんと無知で若者のダメな部分が出てるな」
といった感じで、若手俳優ならではの演技が光っていました。
すでに人気の俳優たちは言わずもがな。
私が本作で特に注目したのが古川琴音と竹内愛紗です。この2人がめちゃくちゃ良かった。
古川琴音はちょっと前から注目していて、これから個性派女優の名脇役として間違いなく売れていくでしょうね。声質の作り方、セリフ回しが抜群に上手い。
竹内愛紗は完全にノーマークでした。表情で演技できるタイプのようで、とても静かに深い感情を表現していて正直驚きましたね。普通の女の子を違和感なく演じられる俳優って意外と貴重なんですよ。
萩原利久の吃音障害はもうちょっとリアルにしてほしかったですが…。
子どもたちの浅はかさ
おそらく本作が評判悪い原因のひとつが、コレなんですよね。いや意味分からん、リアリティ無い、と。
まず死にたい理由がそれぞれあるんですけど、大人から見たら、
「なんでそれが死ぬことに繋がるの?」
「べつに死ななくたっていいじゃん」
「死んでも意味ないよ…」
というレベルの事ばかりなんですよね。
でもさ、そんなもんですよ?
自殺願望のある子どもって、誰しも壮絶な環境でどうしようもなくなって逃げ道がなくなって「死ぬしかない」というレベルまで追い詰められてるわけじゃないんです。
むしろそういう子どもってレアケースで、ほとんどの場合は解決法が残されてるし、大人から見たら「命を軽く考えすぎだろ、軽々しく死にたいとか言うな」ってレベルだと思うんですよ。
だけど子どもって浅はかで無知で未熟な生き物です。もっと言えば「死」に漠然とした憧れがあったりもします。だからこそネット掲示板やSNSの闇が問題になってるわけで。
私としては、劇的でドラマチックな背景よりもずっと世相を的確に表していると感じました。
物語の展開や、捜査・推理についても〈浅はかさ〉が目立ちました。
もし大人や警察がやってる事だったら「そんなわけあるかよ」と私だって萎えます。
でも、これを〈ご都合主義の脚本〉だと考えるか〈子どもの浅はかさ〉だと考えるかで作品のイメージが逆転すると思うんですよ。
私は完全に狙ってると思います。その理由は次の項に。
廃病院の内側と外側のコントラスト
廃病院の内側はわりと暗めの雰囲気で、荒廃としていたりリアリティに欠けた別世界のようでした。
比べて、外側は晴天で陽気に満ちています。
もしも本作が「死」の深刻で重たいイメージを取り扱っているのだとしたら、外側は雨天だったりジメッとした薄闇にするはずです。
それが「情景描写は心理描写」の鉄則です。堤幸彦監督は前作『人魚の眠る家』でもそのルールをガッツリ守っていますし、今作の情景描写にも意味があると考えるのが適切でしょう。
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つまり、「子どもたちの考えてる事・やっている事は、世間(大人)の常識とはかけ離れた事」だと言いたいのです。
途中で廃病院の入り口にやってきた業者も日常を切り取った雰囲気が丸出しで、病院内の「非現実性」がひどく滑稽に対比されていましたね。
ネットとリアルの対比。
子どもの思想と世間(大人)の常識の対比。
本作を「ご都合主義で薄っぺらな内容」だと感じる人は、もしかしたら〈子どもの浅はかさ〉を忘れて大人になってしまったんじゃないでしょうか?
ちょっと無理ある?w
緊張と緩和
本作が初めから重く深い物語にするつもりが無いことは、「スカし」を見ても分かります。
自動ドアの捜査へ行った際に、脚が不自由な人がスイッチを押せるか試すシーンがあります。そこでシンジロウが急に変な声を出して、ノブオとユキがポカンとしますよね。
他にもマイの死にたい理由である病名など。
いわゆる「緊張と緩和」というお笑いの原則を途中途中に入れ込んでいます。
まぁ、スベっている所もありつつ、メッセージ性よりエンタメ性を重視したい考えは伝わりました。(マイの病名はちょっとクスっとしちゃいました)
「死にたい」けど「生かしたい」
死にたい子どもたちが、物語が進むにつれて心情に変化が生じます。
「死にたい」が「やっぱり生きよう」に変化するのは、まぁ映画としてはありきたりですよね。
でも私がいいなと感じたのは、自分は「死にたい」のに、他人を「生かしたい」と考える彼らです。
本当は、生きてれば何とかなるし死ぬことが正解じゃないことを知っているんですよね。それでも自分の事となると周りが見えなくなる。
自分は他とは違う。自分の死には意味がある。と信じてやまないのです。これも大人になると忘れてしまう感覚ですよね。
まとめ
映画『十二人の死にたい子どもたち』の評判が悪かったので褒めまくりました。
「面白くなかった!」という人は、もう一度〈子どもたちの浅はかさ〉や演出の細かさを意識して見直してみてはどうでしょうか?
とはいえ説明過多で冗長なシーンもあったり、傑作とは呼べないのも本音です。
まぁ、命の大切さや驚きのトリックなどには期待せずに観るのがオススメですw